震度7の熊本地震を踏ん張った、我が標本たち(2016.6.13)
現在、僕は地元・熊本の実家で明日に迫る奄美へ向けての出発に備えています。
数日前までの西表島における最後の採集品の展足や今後の遠征に係る準備等、そして下に述べる
4月中頃に起きた熊本地震関連の初期整理がほぼ付いたのでようやくブログ更新をしている次第。
今回の一時帰宅は、八重山~沖縄方面での活動が一応終わり、時期的にも奄美以北の虫のシーズンに
突入するため愛車を有効に使うためにもちょうど地元に戻る必要があったためのものです。
本来この地元での数日間は、何も無ければ遠征終盤の準備と静養に充てるつもりでした。
しかし、図らずも熊本地震によって我が標本がどのような被害を受けたかを確認することが主目的と
なってしまいました。
2011年3月11日に東京は震度5強の地震に見舞われましたが、友人宅の標本はそこそこ被害を
受けたと聞いていたので、それを遥かに上回る震度7(!)に襲われた我が家の標本はかなりの損害を
受けただろうと想像していました。
もちろん地震直後に家族と連絡を取った際に標本の安否は問い合わせましたが、それどころではない
てんやわんやの中で虫ケラの細かな確認などしてくれるはずもありません。
「標本タンスの扉が開いて中の箱が半分近く出かかったが、寸でのところで落ちなかった」ことが
分かった時点で後は自らの目で確認しようと決心しました。こちらとしても現場で頑張る家族に負担は
さすがに掛けられませんし。
本心を言うと、こうした悶々とした思いを押し殺した中で遠征を続けるのは辛いものがあったわけです。
で、一時帰宅と。
熊本空港からバスで市街地に向かう途中で目に入る屋根にブルーシートの掛かる家々。
こうした光景が思いのほか多く、やはり震度7の威力は凄かったんだろうなあと今更ながらに感じます。
マスゴミの連中がやたら熊本城の惨事ばかりを伝えるので脳裏にその光景が焼き付いていましたが、
窓越しに見る有名な武者返しの石垣は映像のとおりに瓦礫と化し、無残な姿となっていました。
タクシーに乗り換えて我が町を走ると思いのほか道路に隆起や陥没が出来ており、スピードを
緩めないと振動が激しい箇所も結構あって、最初考えていたよりは自宅近辺の被害が大きいことを
悟りました。
「標本は大丈夫だろうか・・・」
その思いはますます強まります。
タンスから標本箱が落ちなかったのだから壊滅的な損傷は受けていないだろうとは想像出来ても、
あと一歩でタンスから飛び出す勢いで揺れたわけだから、正直ある程度の破損等は覚悟していました。
道路の凹凸やブルーシート、家々の塀の倒壊等を見るにつけ、その思いは増大します。
そして、自宅に到着すると真っ先に標本を確認。
「あれ?」
「ん?」
「まさか・・・」
ざっと主だったものを見回しましたが、信じられないことにほとんど損傷がありません@@
マウント標本がペフ板から抜けて散乱したり台紙から剥がれたり、標本同士がぶつかり合うことによる
破損等を覚悟していましたが、拍子抜けしてしまいました。
かつて3.11の後、月刊むしに東京での震度5の地震で標本の被害を受けた藤田宏氏(むし社社長)
による「標本を地震から守るために」という貴重な文書が載りました(月刊むし484号)。
それに「涙無くしては見れないネキの箱」とか、「悲しいパキタの箱」という大変参考になる写真が
収められています。
悲惨にも標本箱内のマウント標本がペフ板から外れ散乱したり、極端に台紙が回転して標本同士が
酷くぶつかり合った惨状が映し出されています。
(これらの標本箱は標本タンスとともに床に落下したらしく、落下しなかった僕の標本よりも
遥かに「G」が掛かっていた)
片や、当方の標本。
正確に書くと、熊本地方は4月14日から16日にかけて震度7に2回(!)も見舞われ、震度6も
5回以上、震度5に至っては何回襲ってきたか分かりません。
それでも僕の標本は落下はおろか目立った損傷もほぼ無いのです。
自宅の庭は液状化現象で地割れが起こったり、家の中では本棚や家具の幾つかは倒れたりしたのに。
「???」
これほどの甚大な、かつ回数の大地震をかいくぐった標本も日本中にそうは無いと思いますが、
その中で最も酷かった程度の一つがこれ。大黒箱^^
酷くてこの程度。
実は僕は重量級の虫の標本はあまり持っておらず、あってもタトウに死蔵されているケースが多いので
マウントしてある中ではこれが最も重い個々の標本と言えるものです。さすがにぶつかり合っては
いますが脚やツメの破損は見られません。
(所々抜けているのは別の意味での崩壊の過程です。気にしないで下さい^^)
その他では、さすがにバランスの悪い大型甲虫類や台紙に貼った大き目の甲虫は多少回転したものが
散見されますが、バランスの良い蝶や蛾の展翅品は全く動いていません。
ネキダリス類は良い個体を全くマウントしておらず被害が無いため前段の藤田氏のものとは
比較が出来ませんが、「少しだけ悲しいパキタ箱」をお目に掛けます。
(月刊むし484号の写真と比較してみて下さい)
藤田氏の「悲しいパキタの箱」とは比べようもないほど被害を受けていません。
さすがに重量級の特大♀は重なり合いましたが、破損するほどではありません。
(左壁側の最大♀は採集時に元々破損個体だった)
危なかったのがコレ。
押入れの棚に積んでいたタトウ箱(汗)。
棚と壁との間に25センチ程の隙間がありますが、個々のタトウ箱をうず高く積むとともに
ぎっしり詰めていたため倒れても壁に突っかえることによりズレたり落ちることなく2か月間も
踏ん張ってくれました(いずれメルマガに書きますが、大事な標本を守るヒントの一つが正にコレ)。
ビミョーなバランスでよく頑張ったよなあ。主人?想いのタトウ達だ^^
(これが落下するとちょっと被害が大きかった(汗))
※6月14日追記
遠征出立日ですが、2メートルほど落下したタトウ缶を幾つか発見しました。
これについては帰宅後に詳しく追記します。
震度7・6・5といった甚大な地震を複数回被っても何故我が家の標本は踏ん張れたのか。
揺れの原理は素人には難しく簡単には解が導けませんが、時間を掛けてゆっくりと検証する
題材ではあるなとひしひしと感じているところです。
標本タンスが落下した標本と、落下しなかった僕の標本とは厳密にいえば比較は出来ません。
しかし、落下しない範囲での「G」であれば幾ら甚大な揺れであっても「標本の体制」は
相当持ちこたえることが出来るという貴重な証明になったのではないかと思います。
繰り返しになりますが、二度の震度7を筆頭に複数回の震度6や5、トータルでは歴史的に
最多となる回数の余震を潜り抜けてきた標本というのは日本中にそうは無いと思います。
その所持者として実態を書き残すことは重要と考えた次第でした。
なお、南阿蘇村など僕の採集フィールド(この場合こうした言い方は被災者に対して失礼だが)の
様子については、遠征後の地元採集回帰後にレポートする予定です。
またメルマガは一連の遠征が終わってから出しますので御了承ください。
もっと詳しく知りたい事や
理解できなかった事などございましたらお気軽にご連絡下さい。




